座り込みは、衆議院議員会館前
   2006年5月から、毎週 
月曜水曜
   
12:00〜16:30までに変更しました!


辺野古*カンパ*御礼 m(__)m
 今後、順次、カンパをいただいた団体名、また個人についてはイニシャルで報告していこうと思っています。
ありがとうございました。m(__)m
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2008年

1月 2月 3月

 祐樹が大きくなったら、
辺野古のキレイな海を見せてあげたい。
 
絶対に戦争には行かせない。
人殺しにはさせない。
 
そのために闘うことが親の責任だと思う。

2007年

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2006年

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1月 2月 3月

命を守る会より、全国の皆様へ。
 私どもの闘いも1996年から2006年で10年目を迎えようとしています。

 沖縄への「琉球処分」とも言うべき「SACO合意」は1996年に「北部東海岸基地建設案」を示しました。

 95年の少女暴行事件によって引き起こされた8万5千人の決起は沖縄の歴史からの怒りの叫びでした。

 97年には辺野古の闘いの第一ステージである「名護市民投票」が行なわれ、名護市民は「基地建設NO」の民意を示しました。

 政府からのあらゆる圧力の下で行なわれた市民投票はその政府の思惑を破綻させ、勝ち取られました。それは県民の「基地撤去」の圧倒的な支持による勝利でした。
 しかし、政府は沖縄の総意である「基地撤去」の声を無視し、踏みつけてまいりました。

 2003年から開始された政府による「ボーリング調査(実質基地建設)」の強行は沖縄の「基地撤去」「反戦」という圧倒的な力を踏み潰そうとする策動でした。

 しかし、私達、命を守る会は真実の声と人々の支持を信じ、一歩も引くことなく、堂々と政府と対峙し、毅然と座り込みを続け、実力闘争へと突き進んでまいりました。

 2004年4月19日からは総力を上げて阻止行動座り込みを行なってまいりました。

 70代、80代のおばぁ、おじぃを中心とした命を守る会はその重い足腰を多くの人々による心の杖によって支えられてきました。

 灼熱の太陽、台風、海風による寒さも多くの支援と支持の声に支えられ、乗り越えてきたと考えております。

 2004年9月9日の海上作業強行に対する海上阻止行動においても代表、事務局長、事務員命を守る会の総力で海上での行動に参加してまいりました。

 1年間という長い激烈な政府との闘いは阻止行動座り込み6万人、海上阻止行動6千人という県内、県外の皆様による物心両面での支援、支持によって海上に一本の杭も打たせないという状況を生み出しました。

 2005年9月2日に海上のボーリングヤグラを撤去させ、10月には「リーフ上基地建設案白紙」という勝利を勝ち取りました。

 「SACO合意は動かない」とした日米政府の思惑を破綻させ、追い込んでいます。それは全国の物心両面の支援があって実現したことであると受け止め、心から御礼申し上げます。

 しかし、一喜一憂出来ない事態があることをお知らせしなければなりません。
 政府は「リーフ上基地建設案」が破綻すると今度は日米審議官協議(2プラス2)の「中間報告」の中で「北部への基地の集中化」「沿岸案」なるものを打ち出してきました。

 沖縄を軽視し、踏みにじる行為に県民の怒りは爆発し、05年10月30日に1万人を越える県民大会を開催しました。

 それを注視し、恐れをなした日本政府は「海上特措法」を制定することを示唆しています。
 沖縄の空は、陸はすでに軍事が優先され、権限は奪われています。さらに海までも米軍基地に差し出されようとしています。これこそ、沖縄への究極の差別です。

 「もう黙っていられない」「ここまで県民を無視した行為は許されない」「基地建設は絶対に阻止する」という怒りが沖縄中から聞かれる中、「10万人県民大会を!!」「ゼネストを!!」と声高々に叫ばれるようになっています。

 来年は基地建設を阻止するさらに激しい闘いへと入っていくことが予想されます。
 私達、命を守る会は弱者を虐げ、全国の沖縄化を進め、戦争に突き進む政府を絶対に許さず、全ての生命が輝く未来、未来永劫の平和を勝ち取るために基地建設が止まるその日まで前進していきます。

 全国の皆様、2005年度の一年間に渡る物心両面に渡る御支援、ご指導ありがとうございました。
 お礼状を送るなどの作業が出来ず、大変ご迷惑をおかけしたことをこの場を借りてお詫び致します。
 2006年度のこれからの闘いにおいての御支援、ご指導のほどよろしくお願い致します。

 略儀ながら御礼とさせていただきます。

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2004年
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8月B 9月B 11月B 12月B
8月C 9月C

2004・8・2〜3、「海上新基地建設を白紙撤回に!」
平良夏芽さんが国会前、座り込みに来ました
ドラエモン・メガホンでアピールする夏芽さん
 平良夏芽です。辺野古の座り込みも102日を越えました。本来は、辺野古ではなく東京の国会前で座り込みがなされるはずだとずっと思っていたのですがそのような動きはなかなか伝わってきません。私たちの声を届けるべく選出された糸数慶子議員の初国会の時に、辺野古の想いを携えて国会前に座り込むことが必要だとテントの下で話し合いました。

 しかし、那覇防衛施設局長が変わったばかりで辺野古は予測不能な緊張の中にあり、多くの者が長期間留守をすることは許されない状況があります。そこで、私(平良)が一人で国会前に座り込むことにしました。平和市民連絡会の共同代表の一人として、そして辺野古座り込みの有志として東京に行ってきます。8月2日(月)〜3日(火)の午前8時から夕刻まで座り込みます。関東地方の仲間のいる方はご連絡下さい。共に座り込む仲間を募集中です。


 2004年8月2日、海上新基地建設の白紙撤回を政府に対して要求して、沖縄平和市民連絡会の平良夏芽さんが上京し、国会闘争を闘いました。国会前には200人が集まり、夏芽さんとともに座り込みました。国会議員4人も、激励に訪れました。

 座り込みの後、参加者は防衛庁前に再び集まり、海上新基地建設の工事を中止するように申し入れました。

 さらにその後、集会を開催し、夏芽さんが講演しました。彼は、沖縄で座り込むオジーやオバーの命をかけた闘いを語り、政府に計画を徹底させるために、東京での闘いの取り組みの強化を訴えました。

 沖縄―本土を貫く行動で、建設を阻止しましょう!


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