2005年1月A

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久々の顔 署名
206 沖縄帰りのミッちゃん(50ウン才)
 28日の国会前、座り込み
今日の参加者は6人、カンパは1,200円でした。
福島瑞穂議員の秘書の人が寄りました。
来週、月曜日、国会で質問するので、
辺野古の写真を借りていきました

久々の顔 署名
204 阿部和子さん(53才) 205 熊谷 宏平さん(33才)
26日の国会前、座り込み
今日の参加者は10人、カンパは5,043円でした。
国会が開いていることもあり、人通り
が多い
今日は国会前座り込み178日目 寒いけど、元気!!!
朝からの雪のため、壁がぬれている
ので、今日は横断幕がいっぱい!!
たくさんの人が足を止めて見ていく
作詞をしてきた人もいる パネルを見たり、カンパを入れたり・・・
←「私も支援します!」




          芦沢さんも来た→

25日の国会前、座り込み
座り込み177日目カンパ3822円、参加者5名でした
国会がはじまったので にわかに人通りが増えてきました。
会長が作ってくれた日めくりで大助かり! 補助金削減で保育園が大変です!
なんとかしたい!辺野古もがんばれ!
とカンパしてくれた保育士さんたち
次々にカンパをいれてくれる
一兆二千億円の補助金削減は迎撃ミサイル
と同じ値段!その上こんな基地をつくるなんて
許せない!!と辺野古座り込み経験者の保育士
さんが怒って、一緒にすわりこもう!ともりあがる
新聞社の取材を受けました。 座り込みなのに、座らずにビラを配る
会長
検証・動かぬ基地vol.32 辺野古ありき 2005年 01月19日(水曜日 夕)

昨年末、普天間基地の全面返還を決めたSACOの合意内容に直接関与した人物・当時国防次官補だったキャンベル氏が沖縄を訪れ、講演をしました。その中で「辺野古移設案はもはや最適ではない。」と、自ら海上基地建設を否定し注目を集めましたが、あわせて気になる発言をしています。まず講演内容をご覧下さい。

キャンベル「1996年に合意をした時には、クリエイティブにいろいろな選択肢を考えることはできませんでした。それほど選択肢もなかったわけです。ですから、1996年当時は普天間基地を沖縄県内に移設することが最善であると考えられていました。当時は、いろいろな難しい選択肢の中で、辺野古への移設が一番良い選択であると思われました。それから何年も経ちましたが、実際には移設は遅々として進んでおりません」

キャンベルさんの真意は、当時は辺野古がいいと思ったが、今は違っている。だから別の案を検討すべきだという建設的な立場です。しかし気になるのは「96年当時には辺野古がベストだった」という部分です。

たしか、この年は普天間の移設先は一体どこなのかと可能性のある市町村は動揺して一斉に反発しましたよね。

はい。移設先はすぐに辺野古と決まったわけではありませんでした。その経緯を振り返ります

96年4月。橋本・モンデール会談で大々的に発表された普天間の全面返還。しかし、三日後の中間報告で県内の既存の基地のどこかに移すという難しい移設条件がついていることがはっきりして、沖縄の新たな苦難が始まります。

6月には嘉手納弾薬庫地区か、キャンプハンセンか、シュワブか、という3つの案がアメリカから提示されていることが明らかに。

これを受けて嘉手納町,金武町、名護市など関係市町村は一斉に反発。反対決議や集会で受け入れ拒否を表明します。

しかし、9月には日米両政府が、次の3案に絞ります。嘉手納、キャンプシュワブへの建設案、そして初めて「浮体工法による海上基地」と、既存の基地の中でなく沖に展開する案が提示されるのです。

     
そして12月のSACO最終報告では「本島東海岸」「撤去可能な」とという文言が入り、沖合いに作る以外の選択肢がなくなります。

翌年4月、大田知事が辺野古沖の国の調査を容認し辺野古の可能性が増大。名護市民が市民投票で反対の意志を表明しますが、その直後に当時の名護市長が受け入れを表明して辞任。もはやキャンプシュワブ沖以外の候補地は取りざたされなくなります。

こうして1年8ヶ月かけて、移設先が辺野古に絞られていったように見える一方で、一部では、キャンベル氏の言うように「最初からキャンプシュワブ沖に決まっていた」という言説が早いうちからありました。それは以前にも紹介しましたが1966年にアメリカ軍が出した二つのリポート、この二つです。那覇空港の返還に伴って、アメリカ軍が「代りに飛行場を作るとしたらここしかない」という調査結果を踏まえて書かれた図面です。

今、辺野古に作ろうとしているものとほとんど変らないものが40年前から検討されていたことを、調査に関わった人は知っていたわけですね。

こちらが海兵隊が出した1月のプランで、こちらは12月に、海軍が出したもの。大浦湾側に海軍が大型の船を接岸できるバースを追加した設計図も描かれています。今大浦湾に計画がある「作業ヤード」も、こういう軍港施設に化けるのではないかと危惧されています。

そしてSACO合意の翌年・97年にアメリカ軍が日本側に出してきた発注書に当たる図面がこれです。この3枚を順番に見ると、この海の上に飛行場を作るというプランは40年前からの計画を当然のように引き継いだものという印象が強まりますね。

この97年に出された図面から、もう一つ面白いことがわかりますこのCALAとかかれた突起に注目してみます。

CALA。爆発物積み下ろし場。海上基地からさらに沖合いにせり出したこの施設はいったいなんでしょうか。

梅林「これは明らかにヘリコプターによって弾薬の積み下ろしをするための施設ですね」「海上の船なんかに弾薬を積み込むことが始めて可能になるんですね。今まで沖縄のどの基地にも出来なかった。じゃあこれはもう絶対に欲しいものなんですね。そうです」

軍縮・平和問題に詳しい梅林さんは、情報公開法に基づいて入手したおびただしい量のアメリカ軍文書の中からキャンプシュワブのマスタープランを取り出しました。

そこには、弾薬の積み下ろし施設が必要だが、安全距離の問題でシュワブ内には作れないという問題が記されています。

総計3700トンまでの高性能火薬を貯蔵できる辺野古弾薬庫。それを沖に停泊する戦艦にヘリで運ぶため、積み下ろしをする円形の施設を作るのが急務だが、住宅地や弾薬庫との安全距離が充分でない。唯一距離が取れるものは国道329の上を横切るかたちになり、これも規定違反。

そしてマスタープランは「海岸線より沖に人工的に作る手があるが、コストの問題がある」とむすんでいます。

梅林「これはほんとに願ってもない新型基地施設の建設のチャンスだとアメリカは考えたに違いないと思いますね」「これ全体に海兵隊の船が横付けされることも想定していると思います。単にヘリポートではなくて、港でもあるということでしょ」

しかし、そこまで都合のいい基地であっても、キャンベル氏の言うようにアメリカはもう辺野古にこだわるのは得策でないと判断していると、梅林さんは分析します。

梅林「もっとでかいことが世界で起こってるんですその意味で考えると、これは小さなことになってしまっている」「この1年くらいで、辺野古断念はある。私はあると思います。一番のガンは日本政府。どれだけそれだけこれまでの結果にこだわるか。アメリカにとっては、こだわりはなくなっていると思います」

今日も大野長官が辺野古は進めるということにこだわってましたがそれにしても作ろうとしているものが、薬の積み下ろし場や港の機能まで併せ持った基地だったら普天間の代替施設とはかけ離れていますから、日本の税金で作る必要はないわけですよね。

(97年以降の詳しい計画図面は公になってないのでわかりませんが)今進めているものは普天間の代替施設と読んでいいものかどうかはっきりさせておく必要がありそうです。



1月24日(月) 日誌
久々の顔 署名
203 田中 弘さん(46才)
24日の国会前、座り込み防衛庁 月曜 抗議行動
座り込みは7人、カンパ3.000円。辺野古で闘っている阿部さんが上京中で参加してくれました。
座間からの参加者と一緒に写真、みんなで「基地はいらない」を歌いました
 夕方、防衛庁前には約80人が参加。 加藤さんが環境省交渉の報告


21日の国会前、座り込み
参加者7人、カンパ13.521円
西川重則さんが国会傍聴の帰りに
寄ってくれました
長沼さんが寄ってくれました


カンパもくれました


19日の国会前、座り込み
 今日の参加者は 4人、カンパは300円。
会長があたらしいパネルを作りました 早速、国会前へもって行きます 座り込みの日数が掛けられる!!
今日は写真がいっぱい貼ってあるので、ゆっくり見ていく人も多い
←高田さん、登場


      「座り込みノート」に、
      ひとことメッセージを書く→
←白さんが通りかかる



      高田さんのメッセージ→

18日の国会前、座り込み
 デジガメを忘れたので、画像がありません m(__)m
座り込み参加者9名、12433円
今日は辺野古から帰ってきた菊地さんと田場さんより、現地での様子を
生き生きと伝えてもらいました。”単管ヤグラの上での座り込み”“スパット台船を追い返した時の歓声”
そして 成人式がとてもよかったことなど。
 国会前はいつも辺野古とつながっています。
NHKの番組の改ざん事件で院内集会があり、その帰りに沢山の方が自ら立ち寄って1000円札を次々
カンパしてくれました。「いつもジュゴンの家の日誌みてますよ!」と声をかけてくださり、「また近いうちに
辺野古にいきます」といわれました。辺野古の現在の状況を詳しく聞いて、怒りを新たにしていた二人組みの
女性もいました。この様子をデジカメのバッテリーを忘れ写真でお見せできなくてスミマセン。
 国会前も負けないぞ!!                とみた                       

2005年新曲 辺 野 古 の 海 か ら 作詞・作曲 ヨッシー
♪ マジで頑張って、命がけだって、辺野古の海に基地は造らせない
   この海を守ることで、世界中の友に届け この歌
   辺野古のオジイ・オバァ達が、闘い抜いた8年間
   その思い、胸にきざみ、行くぜ、負けない気持ちカヌーに乗せて

    (※以上、ヒップホップ調のラップで)
1、辺野古の海から あなたに届けたい
 命どぅ宝の本当の意味を知った 僕らには見える未来が  ウォウォー
 戦争なんて ない世界に変えるんだ
 こんなキレイな海を壊すなんて信じられないよ
 新しい時代は 今ここから辺野古から始まる
2、 辺野古の海から あなたに届けたい
   信じていいよ 人間は素晴らしい
  教えてくれた 辺野古で闘う人たちが
 沖縄の心 それは世界を変えるんだ
 こんなキレイな海を壊すなんて信じられないよ 
 新しい時代は 今ここから辺野古から始まる
 こんなキレイな海を壊すなんて信じられないよ
 新しい時代は 今ここから辺野古から始まる
 今ここから 僕らが始める  Woo
♪ (※以下、ヒップホップ調のラップに戻る)
   
マジで頑張って、命がけだって、辺野古の海に基地は造らせない
   この海を守ることで、世界中の友に届け、この歌
   辺野古のオジイ・オバァ達が、闘い抜いた8年間
   その思い、胸にきざみ、行くぜ、負けない気持ちカヌーに乗せて

  Yoh Yoh Yoh Yoh  闘って 闘って 闘って 今日も陽が暮れる
  Yoh Yoh Yoh Yoh 闘って 闘って 闘って 朝日が昇る
     (見て、ウミンチューたちが来た 超カッコイイ!)
  辺野古の海から愛を叫ぶ    

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